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大津市議会議員
略歴
●1964年生まれ
●大津市議会議員(現在2期目)
●滋賀女子短期大学卒
●元学童保育指導員
●新婦人の会志賀支部常任委員
●「子どもたちのために志賀町の良いところを残す会」副代表
●大津市和邇春日在住
●夫・二女

●めだたないけれど責任感はありました
私は、小学校も中学校もめだたないおとなしい子どもでした。でも、サボルのは絶対イヤなタイプ。お掃除は嫌いだけど、決められたことはきちんとやらないと気がすまない子でした。
●子どもが好きで学童指導員に
京都の大山崎町で学童保育の指導員になりました。そこで、子どもたちのために、どう向かい合うべきか、指導員の先輩やがんばり屋のおかあさんに囲まれ、いっぱい勉強できました。子どもたらと張り合って、一輪車に挑戦して、関西大会で金メダルをもらいました。いまも乗れます。
●大型産廃から子どもを守れ
結婚して、環境のよさにあこがれて、和邇春日へ転居し、ふつうの主婦として子育てをしていました。
2001年の春、共産党のビラが入り、栗原地先に大型産廃施設の計画があると書かれていました。しかも、大事な子どもの成長期にあたる中学校の裏手。絶対、建てさせては
ダメと思いました。
●1軒、1軒署名にまわりました
近所のお母さんたちと相談したり、いろんな党の議員さんにも質問
したりしましたが、悪いものはやっ
ぱり悪い。他のお母さんたらといっしょに、署名集めに回りました。
●あきらめずに、共同を大切にする日本共産党に
数年間の産廃白紙撤回の運動は山
あり谷あり。保守の町政に戻り、合併が強行されるというさびしい経験のなかで、私は真剣に考えました。いま、この運動をひきつぎ、最後まで希望を捨てずにがんばるために、なにが必要なのか。私の結論は、2006年の増員選挙で日本共産党を大きくすることでした。運動が困難にぶつかったときも、共同を大切にし、しっかりした考えとあきらめない確かさをもつ党だと実感したからです。そして、その一員としてがんばることになりました。
●住民の憤りや願いを直持、市政につたえたい
2006年3月の合併以来、旧志賀町の住民の生活や子育て環境は、悪くなるばかり。国の悪政の波をまともに、受け続けています。社会福祉で弱い者を、ドンドン切り捨てている今の政治を変えるしかないと思い、決意しました。
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